ようお願いしました。セイヴォリーは船を探しては断られましたが、ついにアメリカのボストン行きの船を見つけてくれたので、新島は乗り換えることができました。 ボストンを目指すワイルドローヴァー号の船長テイラーは親しみを込めて新島をジョーと呼び、ここでも新島は船長付きボーイとして働きました。新島は乗船のお礼に自分が持っていた長刀をテイラーに贈り、テイラーはそのお返しに英訳聖書をくれました。次に寄港した香港で、新島はテイラーに自分の小刀を8ドルで買ってもらい、書店で漢訳聖書を買いました。こうして新島は念願の聖書を読めるようになったのです。1865年7月20日、ワイルドローヴァー号は無事ボストンに入港しました。 第二章アメリカでの留学生活 1.ハーディーとの出会い テイラー船長は船を下りる前に新島にいくらかの小遣いを渡し、新島の世話をしてくれる人を連れてくると約束してくれました。新島は書店で手に入れた英語版の ロビンソン・クルーソー物語」を読みながら、迎えが来るまでの孤独な日々を耐えました。到着から一か月後、上海まで新島を乗せてくれたセイヴォリーが会いに来てくれました。彼は新島を船に乗せたことで解雇され、長崎からイギリスを経由して生まれ故郷のボストンに帰っていたのです。しかし、セイヴォリーが新島の世話をしてくれるわけではありませんでした。 船上生活を始めておよそ80日後、ワイルドローヴァー号の持ち主であるアルフィーアス・ハーディーがやってきました。何のために来たのかと聞くハーディーに新島は答えましたが、彼の話す英語はハーディーには分かりません。そこでハーディーは新島を船員会館に連れていき、アメリカにやってきた理由を文章で書くことを求めました。新島は二晩徹夜して英語の文書を書き上げました。そこには新島が生まれた頃のこと、蘭学に打ち込んだこと、書物からアメリカを知り、聖書を通して神と出会ったこと、そして学校で教育を受けたいといった願いが綴られていました。ハーディーはこの文書に感動し、彼を家族の一員として受け入れる決意をしました。 2.フィリップスアカデミー時代 ハーディーは、新島をどのように助けるかということでは、教育の必要性を一番に考えました。彼は青年期に牧師を目指しながら健康上の理由で断念したこともあり、その後は若者の教育支援に努め、新島がその後行くことになる3つの学校の理事をしていました。1865年10月、新島はアンドーヴァーにある高校、フィリップスアカデミーに入学しました。新島の年齢は21歳でしたが、英語の習得を始めの目的としたのです。この時、汽車というものに初めて乗ったようです。そして、それ以降
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