1890年1月21日午前5時半、新島八重子、小﨑弘道、徳富猪一郎が立ち会った遺言の箇条) ○(同志社の将来はキリスト教による徳育、文学や政治などの興隆、学芸の進歩、これら三者を一体的にまた相互作用的に行うこと。 ○(同志社教育の目的は、神学、政治、文学、自然科学などいずれの分野に従事するにせよ、どれもはつらつたる精神力があって真正の自由を愛し、それによって国家につくすことができる人物の養成に努めること。 ○(いやしくも教職員は学生を丁重に扱うこと。 ○(同志社では倜儻不羈 てきとうふき)なる書生を圧迫しないで、できるだけ彼らの本性にしたがって個性を伸ばすようにして天下の人物を養成すること。 ○(同志社は発展するにしたがって機械的に事を処理する懸念がある。心からこれを戒めること。 ○(金森通倫氏を私の後任とするのは差しつかえない。氏は事務に精通し、鋭い才気の点では比類ないが、教育者として人を指導し、補佐する面では徳がなく、あるいは小細工をしやすいという欠点がないとは言えない。この点は私がひそかに残念に思うところである。 〇(東京に政法学部、経済学部を設置するのは、最近の事情を考慮すれば、とうてい避けることができないと信じる。( 〇(日本人教師と外国人教師との関係についてはできるだけ調停の労をとり、両者の協調を維持すること。これまで私は何回も両者の間に立って苦労した。将来も教職員の皆さんが日本人教師にこのことを示していただきたい。( 〇(私は普段から敵をつくらない決心をしていた。もし皆さんのなかであるいは私に対してわだかまりを持つ人がいるならば、そのことを許していただければ幸いである。私の胸中には一転の曇りもない。 ○これまでの事業を見て、あるいはこれを私の功績とする人がいるかもしれない。けれどもこれは皆、同志の皆さんの援助によって可能になったことであり、自分ひとりの功績とは決して考えてはいない。ただ皆さんのご厚意に深く感謝する。 付録)3.(遺言(1890年1月21日 現代語で読む新島襄」丸善(2000(年 P.252~253)
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