新島襄の生涯
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ことを許可してくださったが、私にはまだ十分とはいえなかった。私はある算術の塾に通って足し算、引き算、掛け算、割り算、分数、利息算などを修得した。その後、例の自然科学の本を再読すると計算式の部分がよく理解できた。 ((ある日、私は海が見たいと思って江戸湾に行った。そこで私はびっくりするほど大きなオランダ軍艦を見た。それは私には城か砲台のように見えた。この船は敵と戦えば強いだろう、とも思った。この船を眺めていると、ある思いが頭にひらめいた。私たちは海軍を作らなくてはならぬ、との思いである。なぜなら、わが国は周囲を海で囲まれており、もし外国から攻撃を受ければ、海上で戦わなくてはならないからだ。( (しかし、別の思いも浮かんできた。外国人が貿易を始めてから諸物価があがり、わが国は以前よりも貧しくなった。日本人は外国人と貿易をする方法を知らないから、私たちは外国に出かけて貿易の仕方を覚え、外国に関する知識を学ばなくてはならない、との思いである。( (ところが国法は私の思いを全く無視したので、私はこう叫んだ。 幕府はなぜ私の思いを無視するのか。なぜわれわれを自由にしてくれないのか。なぜわれわれを籠の鳥か袋のネズミのようにしておくのか。そうだ、われわれはそんな野蛮な幕府は倒さなくてはならない。アメリカ合衆国のように〔国民が直接選挙で〕大統領を選ばなくてはならない」と。しかし悲しいかな、そのようなことは私の力のおよばないことだった。( (その時以来、私は幕府の軍艦教授所〔軍艦操練所〕に週3回通って航海術を学んだ。何ヵ月もかけて、代数学や幾何学が多少分かるようになり、航海日誌のつけ方や太陽の高度の計り方、緯度の測り方なども修得した。けれども悲しいことに夜間の勉強のせいでまたもや目を悪くし、1年半ばかりというもの、全く勉強ができなくなった。こんなことは人生に2度と起きてほしくない。目が良くなると、藩邸の執務室にまた詰めざるを得なくなった。 ((江戸はそのころ非常に暑くて、病人が多く出た。日中、太陽がじりじりと照りつけたある日、夕方に大雨が降った。その時私は寒気がしてぞくぞくしてきた。翌朝には頭痛が始まり、体内で火が燃えているかのように身体がほてってきた。何も食べられず、冷たい水を飲むだけだった。2日後には麻疹 ぶらぶらと過ごす時間が多くなった。( ある日友人を訪ねると、彼の書斎で聖書を抜粋した小冊子を見つけた。それはあるアメリカの宣教師が漢文で書いたもので、聖書の中のもっとも重要な出来事だけが記してあった。私はそれを彼から借り、夜に読んでみた。なぜなら聖書を読んでいることが知れると、幕府は私の家族全員を磔にするので、私は野蛮な国のおきてを恐れていたからだ。( (私はまず神のことが理解できた。すなわち神は天と地を分けたうえ、光を

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