新島襄の生涯
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はならないことは承知しておりますが、私の心は勉強のためにすでに先生の所に行っております。それゆえ私の体もまたそこへ行かざるを得なかったのです」と。( (すると藩主は非常にやさしくこう言われた。 おまえは習字が上手だからそれで生計を立てていける。2度とここから逃げ出さないならば、俸禄を増やしてやってもいい。どうしておまえは外国の知識などにあこがれるんだ。それは道を誤るもとだ」と。( (私は言った。 どうしてそれが道を誤るもとになるのでしょうか。誰でも何らかの知識を持つべきだと思います。知識を全く持たない人は犬や豚にひとしいと思います」と。それを聞いて藩主は高笑いをして おまえはしっかりしている」と言われた。この件では藩主のほかにも祖父、両親、姉たち、友だち、隣人たちが、私を殴ったり、嘲笑したりした。しかし、私は彼らのことを全く気にせずに自分の考えを堅持した。 2、3ヵ月後、執務室での仕事が増えたので抜け出せなくなった。ああ、これが原因で私はあれこれと思い煩い、病気にもなった。誰にも会う気がせず、遊びに出たい気持も起こらなかった。ひたすら静かな部屋にこもっていたかった。ひどい病気だと分かったので、薬をもらいに医者の所へ行った。医者は念入りに私の病気を診察した後でこう言った。 君の病気は心が原因だ。高ぶった気持ちをまずすっかり静めるようにしなければいけない。身体の健康のために散歩をする必要がある。散歩のほうが薬をたくさん飲むよりもはるかに効き目がある」と。( (藩主は病気を治すために時間をたっぷりくださり、遊ぶために父も金をいくらかくれました。しかし、私はオランダ語を学ぶために毎日教師の家に通った。長時間を費やしてオランダ語の文法書を読み終えてから自然科学の小冊子にとりかかった。この本は大変面白か(ったので、医者のくれた薬よりもずっとよく私の病気に効いたと思う。( (2、3ヵ月後に病気が良くなると、藩主は再び私を抜擢して日誌記録の仕事を命じられた。藩主の命令に従って、私は毎日執務室に詰めていなければならなかった。ああ、もうオランダ語の勉強のためにそこを抜け出すことができない。私は仕方なく自宅で夜間に時間をかけて本を読んだ。そして蘭和辞典をたよりに例の自然科学の本を読み終えた。けれども悲しいことに夜の勉強のために目を傷めたので、またもや勉強を中断せざるを得なくなった。( (10週間たつと目の病気が完全に回復したので、再びその本を読み始めた。けれども計算式でわからないところがあったので、算術を学びたいと思った。しかし、そのための時間は全くなかったからある日藩主に 勉学のためにもっと時間をください」とお願いした。そこで藩主は週3回私が執務室から抜け出す

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