新島襄の生涯
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学制公布。 新橋横浜間鉄道開通。 岩倉全権大使使節団への協力を要請される。 教育視察の通訳を依頼され、アメリカ各地を視察。翌年にかけて田中不ニ麿理事官らとともにイギリス、スイス、ロシアなどヨーロッパ各地を視察する。 アンドーヴァー神学校復学のためニューヨークに戻る。 牧師資格を得る。アンドーヴァー神学校を卒業する。アメリカン・ボード年会の演説で寄付金5000ドルを得る。 学校用地として京都にある旧薩摩藩邸跡を550ドルで購入。11月29日、官許同志社英学校を開校する。 山本八重と結婚する。A・J・スタークウェザーが女子塾を開設。 同志社の朝礼の席で、「自責の杖」事件が起こる。 「同志社大学設立之主意之骨案」を書き終える。 「同志社学校設立ノ由来」を起草する。 「同志社設立始末」を起草する。 英国船キヴァ号でヨーロッパへ渡り、イタリア各地を見学する。 サンゴタール峠で呼吸困難に陥り、峠のホテルにて遺言書を書く。 A・ハーディー氏に少年時代を記した文章を贈る。 父民治が亡くなる(81歳)。A・ハーディー氏、敗血症のため死去(71歳)。 前橋の臨江閣で演説する。宿所に帰ってから腹痛を起こす。 八重夫人、徳富猪一郎、小崎弘道、立会いのもと遺言を述べる。 1月23日、急性腹膜炎のため死去(46歳)。 同志社礼拝堂(チャペル)前で葬儀。遺体は生徒たちにかつがれて若王子山に埋葬される。 墓碑銘を勝海舟が認める。 1872(明治5) 1873(明治6) 廃刀令。翌年、西南戦争。 国会期成同盟。 内閣制度発足。 徴兵令。 キリスト教黙認、禁制の高札撤去 民撰議院設立建白。 立憲政体樹立の詔。 1874(明治7) 1875(明治8) 1876(明治9) 1880(明治13) 1882(明治15) 1883(明治16) 1884(明治17) 1885(明治18) 1887(明治20) 1889(明治22) 1890(明治23) 1891(明治24) 翌年、市制・町村制発布。 大日本帝国憲法発布。 第1回帝国議会開会。 教育勅語発布

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