新島襄の生涯
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ぞれが降り注ぐ中でしたが、600人以上の同志社、教会関係者に出迎えられ、街灯もなくぬかるんだ道を交替で担がれ、自宅へと辿り着きました。1月27日には同志社礼拝堂で葬儀が行なわれ、棺を担いだ約3000人の行列は、若王子山頂の墓まで続きました。( 若王子山頂にある同志社共葬墓地の墓碑には、友人勝海舟の友情あふれる書体で 新島襄の墓」と刻まれました。妻八重さんや家族、宣教師たちの墓碑もたくさん並んでいます。その墓地の入り口、しかも新島襄の墓石に向かい合う場所には松本五平の墓石がたたずんでいます。同志社の作業員として長く勤め、学生達が 五平、五平」と呼び捨てで仕事を命じる中、新島は 五平さん」と さん付け」で仕事を頼んだと伝えられています。 襄」と呼びかける妻八重に対して 八重さん」と語りかけた新島の姿を思い起こさせるエピソードです。( ((新島は遺言の中で、 いやしくも教職員は学生を丁重に扱うこと」と述べています。新島が全ての人を さん付け」で呼ぶ姿からは、一人一人を大切にする姿勢がうかがえます。この言葉には、名前を呼び合うように、丁寧に学生の人格と向き合い続けて欲しいとの新島の願いが込められています。 同志社一貫教育委員会 Wild(Rover(Project メンバー デビッド・フォアマン: 同志社中学校・高等学校 振本ありさ: 同志社小学校 川江友二: 同志社中学校・高等学校 森田喜基: 同志社大学 中川好幸: 同志社小学校 大岡創一朗: 同志社中学校・高等学校 桜井希: 同志社中学校・高等学校 山下智子: 同志社女子大学 前メンバー 木村良己: 同志社中学校・高等学校

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